天然痘に一度罹ると二度と罹らないことは経験的に知られていました。 そこで、天然痘の膿を皮膚に植え付けるということが行われていました。 しかし、全身に痘疱が広がり死亡する人もあり、かえって感染が広がるということもあったようです。 英国の開業医ジェンナーは乳搾りや羊飼いの女性より、都会の女性にあばたを持った女性が多く、乳搾りの女性から「私は絶対天然痘には罹りません。牛痘にかかったことがありますから。」という話も聞いていました。 そこで、甥のヘンリー・ジェンナーとともに牛痘に罹ったことのある19人に天然痘の膿を植えてみると、全ての人手皮膚が赤くなるだけで、痘疱はできませんでした。その後実験を重ねて、牛痘を植えてみることにしました。 1796年5月14日に8歳の少年ジェームス・フィップスの腕に乳搾りの女性サラ・ネルメスの手にできた典型的な牛痘病変から採った材料を接種しました。これが種痘の最初です。ジェームスの身元は不明ですが、孤児院の 子か、貧農の子でしょうか。(ジェンナーが自分の子に最初に接種したというのは間違いです。)1週間後に微熱が出ましたが、すぐに下がり、約6週間後の7月1日に天然痘を接種しましたが、発症しませんでした。 ジェンナーは、もう一度実験したいと思い牛痘の患者が出るのを待ちました。2年後にそのチャンスが訪れ、孤児院の5才、6才、7才の女の子と11ヶ月、12ヶ月の男の赤ちゃんで実験し、成功しました。 その後、ジェンナーは王立協会に論文を送りますが、「この論文はあなたのこれまでの科学上の名誉を傷つけることになる」と冷たく返されます。しかし、彼はあきらめず、論文を自費出版し、貧しい人々に無料で1日に300回も種を行って成果を上げ、しだいに認められました。 1803年には、イギリスにジェンナー協会が作られました。天然痘の死亡者が激減し、瞬く間に種痘は広まっていきました。 ※牛痘ウィルス 参考: 人獣共通感染症連続講座 第28回 2001.11.19 |
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