1877年(明治10年) 旧藩物産所漆樹取扱方 町田才之丞久光が町田商会を新寺町に創始 |
1888年(明治21年) 東京人造肥料株式会社(後の日産化学工業株式会社)が設立、 |
我が国最初の化学肥料「過燐酸石灰」が生産され普及に努めた |
1908年(明治41年) 町田新三郎が渡米してワシントン州ヤキマにおいて |
りんご生産流通の資料収集 |
1915年(大正4年) 冊子(青森県病害虫防除薬品調合法)発行 肥料の成分計算表、施肥設計用資料を作成 |
1916年(大正5年) 牛田式サクセス型尚産噴霧器を販売 県内需要の大半を占めた |
1918年(大正7年) 県農事試験場、我が国最初のスプレーカレンダー「苹果病害虫防除暦」を作成 |
1920年(大正9年) 店舗を土手町に移転 農業生産資材の総合供給社となる |
1923年(大正12年) 板柳に農薬工場を設置してセーフティー社と命名 石灰硫黄合剤の生産、カゼイン石灰の製造を行う |
1924年(大正13年) 欧米より帰国した県農業試験場島善隣技師の要請に協力 |
米国フレンド社より我が国として初めて動力噴霧機を輸入、国産化して県内外、朝鮮、満州に移輸出 |
1926年(大正15年) 薬剤散布暦を県農業試験場に寄贈、各市町村及び生産者に配布 |
1929年(昭和4年) 町田賀芽弥設計、車輪付高速度噴霧機、農林省主催全国農機具共進会において最高金賞を獲得 |
1960年(昭和35年) 株式会社 町田商会となる |
1989年(平成1年) 町田容造(後の町田才之丞)が株式会社町田商会の代表取締役社長に就任 |
1990年(平成2年) 「第1回花と野菜苗の市」(後のグリーンフェスティバル)開催 |
2000年(平成12年) 株式会社 町田と株式会社 町田商会が合併し、株式会社町田アンド町田商会となる |
2001年(平成13年) 田代営業所を秋田県田代町(現、大館市)に開設 |
2002年(平成14年) 板柳町福野田に町田農材を開設 |
2005年(平成17年) 登録検査機関(国内産玄米検査)を発足 |
2010年(平成22年) 田代営業所を秋田県大館市岩瀬に移転 |
2014年(平成26年) 町田農材より町田商会板柳営業所へ名称変更 |
2014年(平成26年) 板柳営業所を板柳町辻に新築移転 |
2019年(平成31年) 弘前営業所を弘前市津賀野に移転 |