20 JAN(SUN)はれ ペシャワール 10:00PM(現地時刻)
昨夜は、パキスタン的な中華料理店でアクセルのクルー(番組制作会社)と、UNHCRの御世話クルー総勢11名。
今回始めて、合同食事会。
食事中、通訳兼ガイドの人たちに難民及び、パキスタンに対する日本国民の援助について聞いてみた。
「困っている人を助けることは大切なことだから、援助してほしい。」
「1度止めてもらった方が良い。援助物資が流れて来ると、人々はそれをあてにしてしまい、働かなくなってしまう。一部の人達だけが、得をしている。」
2つに分かれた興味ある会話となりました。難しいことですヨ。援助するってことは・・・
今朝は快晴。イスラマバードから、ペシャワールへ・・・我々のドライバー「モグモグ」はなぜだか、民族衣装に身をかため、すこぶるごきげん。
インダス川とカブール川の合流地点。その昔、アレクサンダー大王が動物の皮袋を浮かべて、6万余の軍勢を渡した地点だ。スゴイ。
時の流れは、河の流れと共に・・・。当時とほぼ変わらないと思われる。
民衆の営みはそのまんま・・・って感じかな?
ペシャワール
到着後、A班の武政、坂本は薬局調査へ B班の町田、久保田、鹿内は難民キャンプ、トライバルエリアへ。
そこで、久保田君の友達へと出て行くんですナ。
A班は、かなりの情報があった様です。重要なポイントを押さえたみたい。
B班は、トライバルエリアのハッシッシ、銃の流通量の多さに驚き、デンマークのNGO「DACAARダカール」の井戸をみる。
団長
2002年1月20日17:43(PAKI時間)Pearl−Continental Hotelsにて
パキスタンに到着し3回目の夜になるところです。
実は、今回、私はパソコン機械関係をやっていますが、初日から衛星携帯は使えないし、UNHCRから送信したメールは、文字化けしていて読めなくなっていたり、さんざんな思いをしていました。
今、このホテルは、しっかり外線発信ができるようなので、ほっとしているところです。
今日(20日)は、午前は、イスラマバードから、パシャワールへの移動。午後は、バザールへ出かけてきました。
バザールでは、現地の薬屋から難民支援についてインタビューをしてきました。
中でも、私の記憶に残っているものをいくつか紹介したいと思います。
T.日本の薬剤師が、薬を持ち込み援助することは?
歓迎します。しかし、必要な人に渡してほしい。なぜなら、必要な人に渡らないから。また、私達は、協力できるならしたい。
U.薬が持ち込まれたら、売上がさがってしますのでは?
関係ない。それは、神様がいくら稼げるか決めている。
日本のみなさん、すこし考えさせられませんか?
それでは、また、あしたがんばります。
坂本
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