禁無断転載

1月29日10pm快晴

クエッタ→イスラマバードへ。
クエッタでUNHCRの税田さんと昨日約束した難民の出発地点へ視察に行ってきました。200家族以上の人達が集まっていました。
斎藤さんも朝早いというのに笑顔を振りまきながら我々にサービスしてくれました。
このところ難民に関してかなり考えるようになりました。
羽生さんの最初のブリーフィング中での難民の定義、ボーダーを越えて来た人達を難民とする...。
 難民とは難しい事情で越境する人達を難民と呼ぶんですかネ。
要するに色々な個人的理由で隣国に越境する人達を総称しているんですナ。
ここパキスタンに流入して来る人達の理由は
1. 戦争がはじまって何らかの理由で身の危険を感じたから。
2. 戦争がはじまって商売がしにくくなったから。
3. この際だからパキスタンへ行って一旗挙げてくるかな。
4. 旱魃がひどく暮らせないから。
5. 1〜4の混合理由から。
20年前のソ連侵攻時の理由とは少し違うような気がしてきたのです。
その証拠に20年間住み着いている人達も沢山いてパキスタンで結構いい暮らしをしている人達もいて、我々が日本で考えるほど、悲惨な人達ばかりではありませんでした。
しかし、女性、子供、老人が多いということはやはり一時的に大変であるんです。
さらにアフガンから流入して来る人達の数はものすごいものがあり、1万人とか数百万人とか...。
定住しているところから移動すれば環境が変わりますから病人も死者も出るんです。

クエッタでの出発地点で20年前も親族を頼って数日間ここで暮らし、そしてここに集まって同じようにキャンプへ移って、そしてアフガンへ送ってもらい、そして今回も同じように...。

我々日本人は国境を意識しない島国に住んでいるのでどうもこの感覚がうまく頭に入って来ないんですナ。
パキスタン人もアフガン人も、民族的には同系の人達が多く、血族が多いんです。
庶民は国家意識なんて余り考えてないように思ってきたんです。

いずれにせよ人々は弱肉強食の中で生きており、たくましさを超えてしたたかさな人達であるんじゃないかな...。
少なくとも平和ボケした小生を含めた日本人よりは数倍強いと感じました。

越境してくる難民の多くはバスその他の交通手段を利用してやってくるのだそうで、1家族で移動に6万円くらい。大体1家族の月収は6千円位だから10ヶ月分の稼ぎ分で越境。自分達の土地を売ってくる人達もあるという。
となると...。逃げるのも出来ずアフガンに留まっている人達が大変だということになりはしまいか。
パキスタン内部を見た限りではそんな気がしたんです。
アフガンを見ないとちょっと理解できないんですナ。

日本人の多くが言うように"難民はひたすらかわいそう...!"ではないような気がしてきたんです。それこそ複雑すぎて混乱してます。

薬剤師的にはパキスタンの主要都市内の排ガスがとても気になります。"光化学スモッグ""ぜんそく"。
あと数年でパキスタン全体が病人になりそうです。

団長


2002年1月29日 21:10 イスラマバードにて

今日は、朝、前日に訪問した、モハメットキール、ラティハバード(2つとも比較的新しいキャンプ)へ、クエッタの街の難民を引越しさせるUNHCRの活動を少し見に行った。この街の中の難民とは、ソ連がアフガニスタン侵攻した時代の難民で、20年近く住んでいた人達です。つまり、2つのキャンプは、今の難民だけでなく、以前の難民も対象にしているものです。
手続きは、レジストレーションセンターにて、人数、出発時間、日時を受付けで済ませ、受付け後、4、5日でキャンプへ向けて出発となります。
これも、全てUNHCRの経費で行っているそうで、かなりの格安でバスをチャーターしているようです。
しかし、これは希望者のみが対象となっています。

前日の井戸水の結果をUNHCRの方に説明しました。
大腸菌が検出され、また、亜硝酸性窒素も検出されてた。
つまり、おしっ○、ウン○、動物の死体などが原因となります。
これは、トイレが、しっかり設備されてないため、井戸にふたがないためとアドバイスしました。
とても、興味深く、真剣に聞いて頂けたのでは・・・。

まだ、銃声が聞こえる。

坂本


<前へ

[HOME]

無断転載を禁止します

Copyright (C) 2001-2002 M&M Co. All Right Reserved.