『社長のボヤキ』
2004.3.29
今日は移動日。いよいよカブール。約束通り、アンサリー氏が来訪。
27日ロータリークラブでの写真を持って来てくれた。どうもこの行為は、マサルが気を利かせて、デジタルを加工して渡したお返しみたいである。
それにしても、マサルは良く動いている。アイツにしては、ちょっとホメてやろうかな。と思うとドジをするから止めよう。
ちょっと変わって来た。まだ不満はあるものの、確実に良くなって来た。ここでは、'インシャラー'は良いけれど、日本では'インシャラー'は通用しない。
予定より、1時間遅れの飛行機でカブールへ・・・。
ペシャワールで給油してカブールへ。途中、7,000〜8,000mとおぼしき雪化粧をした山々が、目線で追うことが出来る。山々がトゲトゲしい。
やがて到着。残骸と新しい戦闘機の風景が最近までの出来事を語っている。滑走路にある芝生に、雑草がチョコチョコと咲き、殺伐たる風景を少しではあるが、なごませてくれる。
首から下げたタッグを見て、税関職員が握手を求めてきた。日本の国旗は人気がありそうだ。お行儀良くしなければ・・・と思った矢先「Machida!」と、でっかい声が聞こえて来るではないか。
カブールRCの、Farani女史であった。マサルと交信していた、Ahmed Khan氏も・・・。
そして、圧巻は3人の少し年をとった女性群。この人達もロータリアンかな?皆すごい。
カブール空港では、大きな'マスード'の写真を掲げていた。記念写真を一枚と思ったが、イエローカード。いまだに釈然としない。マスードは英雄なのだ。
彼女達に、お茶を誘われた。ひとまず、ホテルに入ってからと思ったが、強引に説き伏せられ、Farani女史の家を訪問することとなる。
元気の良さは大変なものだ。とりあえず、用意したお土産を渡す。とても喜んでくれた。
色々話をしている間、彼女は英国に子供を置いていることや、戦争後1〜2年の話、彼女の活動振り・・・。
英国の女性ってのは、強いし、激しい。サッチャー女史を思い出してしまった。
99歳で他界した祖母の話を思い出した。米国の上流社会では、母親が子供をしつける時は、ムチで引っぱたいてしつけるのヨ。私にはあわない。私のしつけ方は、竹尺で引っぱたいて、姿勢を正す為、背中に入れるの。そうすれば、良くなる由のことを効いたことがある。ムチも竹尺も変わりないじゃないか・・・とも、自分の子供をムチで引っぱたくなんて、野蛮な女性とは結婚は止めた方が良い。止めなさいであった。祖母の米国での数年間は、見るもの聞くもの全て、明治と比較していたのでしょうネ。
祖母は帰国してから、なぜかバターを食べたことはなかった。バターは彼女にとって、想像を絶する位の思い出があったに違いない。
現実に、英国育ちの女性がまくしたてている。アピールの仕方が非常にうまい。カッコ良いなあと思ったのは、「明晩、ここで皆で食事をしましょう。もちろん私が腕をふるうわ。楽しみにして!」今までの鉄の女性から、優しい少しお茶目なチャーミングな顔に戻った。
英国女性か。すごい!ちなみに彼女はRCの会長である。
暗くなる前にと、ホテルへ急ぐ。インターコンチネンタルホテル。マスードの写真がやたらめったら貼られている。私も、マスードに関する本その他数冊読んで、素晴らしいと思ってはいたが、こんなにも愛されているのかと驚きである。
ロケーションをホテルの人間に説明を受けた。相手もたどたどしい英語だし、こちらもマフィア英語である。西の方の山脈はヒンズークシ山脈。東の方はカブールの市街。いつも戦間だった。今は平和だ。銃を持っていないのが不安だがネ。
マスードに対しては、一様に厳しいまなざしから一変し、考えられない程の優しい目つきで語りかけてくれる。世界中でこんなに国民から愛されている男なんているのかなと思いながら。
夜明けは6:00AMだそうだ。是非、眺めたほうが良いとのことであった。早起きしよう。
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