■薬剤師パキスタンを走る■ 上 2002/02/21東奥日報21面
難民キャンプ視察 〜 内部状況はっきり理解
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本県と岩手県の薬剤師の有志五人でつくる「アフガン難民対策薬剤師調査団」第一次派遣隊(町田容造隊長)が一月中旬から二週間、パキスタンに赴いた。「命を救うはずの薬や水はどんな状況か」。その問いの答えを追い現地を駆け回った薬剤師が、難民キャンプの実情を伝える。
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イスラマバードからペシャワルに向けて一時間ほど車で走ると、タキシラである。アショカ王が仏教を持ち込んだ場所だ。任務を終えた武政文彦、坂本賢、鹿内豊一、久保田弘信、そして私は、一息つく場所としてカブール川とインダス川の合流地点を選んだ。
たばこがうまい
岩山に囲まれ殺風景このうえなかった景色が、新緑に変わっていた。もえぎ色がことのほか美しい。気温一八度。湿度は少なく快晴。難民キャンプの殺風景さ、バザールの喧騒(けんそう)と排ガスがうそのようだ。川面をわたる風がさわやかで、ポーッとしながら津軽の田植えを思い出した。
隠し持つウイスキーのホロ苦さ、ナンの甘さ、そしてチャイ(インドの紅茶)が、二週間の大調査旅行の疲れをいやしてくれる。たばこがうまい。
いわゆる「医薬分業率」が五割を超える日本。「薬剤師による考察と提言」なる名目で始まった調査旅行は、米国多発テロ事件が発端だった。炭疽(たんそ)菌など生物化学兵器に関する報道が続き、大勢のアフガン難民が生まれてからは、資金面で難民支援を依頼する大量のダイレクトメールが机を覆い尽くした。
ただひたすら「かわいそう」「悲惨」との報道が目に付く。現地に行ってみれば少しは理解できるだろうと、私は有志を募り、博報堂の知人に相談した。その当初計画が全く無謀に近かったと気付いたのは、現地入りしてからのことだった。
先の知人は当方のめちゃくちゃぶりは了解済みで、行方不明になっては大変だとばかりに急きょ、日・パの両UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に協力を依頼し、行程を調整。現地責任者、通訳などの同行クルーを瞬時に決めてしまった。
護衛なしでトライバルゾーン(治外法権地域)に入る計画は危険と判断されたらしい。「問題を起こさず、事実そのものを伝えられるよう真実を見てほしい」との配慮でもあった。おかげで、普通の旅行者は絶対に入り得ない四つの難民キャンプを視察、各キャンプに駐在する国連職員、政府高官らとやりとりし、実情が手に取るように理解できた。
改善急務な井戸散見
難民キャンプで日本の薬剤師が貢献し得る業務は次の通り。
@簡易水質検査ではUNHCR緊急ハンドブックの目安に照らし飲料に適さない井戸が散見され、改善が急務
A子供、女性、高齢者(平均寿命は女性四十七歳、男性四十三歳)が多い住民の構成比率と医薬品供給のアンバランス解消
B医療ユニットの消毒設備充実と衛生観念の教育。 長い距離と時間を移動する「難民」という立場には、ある程度の蓄えを持つ人だけがなれることもわかった。次は「難民になれない人々」が多く暮らすアフガンでの調査が必要だと、強く思った。
(弘前市・町田容造)